京都府内にある児童数49人の小さな小学校が137年の歴史に幕を下ろし、閉校した。私の母校だった。
3月26日には住民を挙げての閉校式典が行われ、私も母校へ。実に16年ぶりである。
緑のペンキが塗られた廊下、赤い窓の手すり、白いうさぎがいた飼育小屋―。不思議なもので、時を経てなお何一つ変わっていない。思い出の中に入り込んだような感覚だった。
私は変わった。背も伸び、年を取った。そんな私に、今も変わらない校舎が「おかえり」と最後の姿を見せてくれているような気がした。
式典には350人が参加。こんなに人が溢れるのはいつぶりだろう。きしむ体育館の床もうれしそうだ。
それぞれが言いようのない寂しさを抱えながら、この母なる学び舎にただただ「ありがとう」という言葉を贈った。
「名に負う里の学び舎に 集いいそしむ 楽しさよ」―。校歌の一節が、今になって理解できる。確かにここに、集い楽しみ、巣立っていった子どもたちの姿があったのだ。
我が母校よ。ありがとう、そして、いざさらば。決して忘れはしない。(森田靖久)