卒業証明書を受け取りに、京都にある母校の大学に行った。数行の書類で面白味がなく、ありがたみはない。
その大学に入学したのは「京都の大学」だったからだ。京都の大学では協定を組み、図書館の共有や他大学の授業を単位認定する取り組みなどがある。「京大に入る勉強をしなくても、京都の大学にいれば、京都大学を使えるんだ」と、高校生の自分は考えた。そんなことだから、入学する大学の要項を読んだのは合格後というありさまだった。
大学に入ると、論文の文献を京大の図書館で探し、興味がわいた授業を聴講した。学園祭の応援にも顔を出した。自分に限らず、京都の大学間を多くの学生が行き来し、勉強以外にもイベントなどを協力して行っている。
もし大学受験を考える高校生にアドバイスする機会があるのなら、大学は偏差値や看板だけでなく、地域も含めて考えるべきと伝えたい。
京都だから入った母校は大阪にキャンパスを増やし、在籍した学部を含めて機能を移す。「ここもつまらなくなるな」と、最後まで愛校心とは無縁だった大学を去った。(河本達也)