北里大学名誉教授 野村節三さん

2015.06.25
たんばのひと

津波の体験を越えて

(のむら せつぞう)岩手県大船渡市在住

 1934年(昭和9)山南町生まれ。柏原高、東京理科大理学部卒。米ハーバード大留学。名古屋大で理学博士号。北里研究所を経て北里大教授。1999年退職。

 大船渡の北里大学水産学部(現海洋生命科学部)に助教授として赴任してから40年。地震や津波も想定して岩盤の強い高台に家を建てたので、大震災の被害は軽微ですんだが、「現実にこんな大津波に遭遇するとは夢にも思わなかった」。

 用事で市の中心部に出かけていて激しい揺れに襲われた。すぐ津波のことが頭に浮かび、急いで車に乗った。何とか渋滞を抜け出して山側の道から家をめざしたが、峠で眺めると街は跡形もなく、夥しい瓦礫の海と化していた。市内で500人近くが犠牲に。大学関係者では、避難途中で車いすのお婆さんを助け上げた女子学生が1人、自分は波に飲まれてしまった。

 4年余り経ち、港湾部一帯は防潮堤や小学校などの建設工事が進みつつあるが、自宅すぐ前の広場には、なお多くの仮設住宅が残ったまま。湾口に高さ9・5の防波堤が築かれることになったが、漁業関係者は湾内の水質の悪化を心配している。地域の復興委員を務めるが、「被害の範囲が非常に広く、課題が山積。自然との共存を真剣に考えなければならないということが、教訓でしょう」。

 抗生物質の研究に取り組み、脂肪酸、コレステロールの生合成を抑制する阻害物質を発見。またサケ、マスなど魚の病原菌の解明に取り組んできた。震災後、学部のキャンパスは神奈川県へ移転したが、自分はこの地に骨を埋めるつもりで、地元の理科の先生の研修や、「理科好き子供広場」のブログ掲載、昔あった金山遺跡の調査など多彩に活動。

 柏原高の同窓会にもよく顔を出す。「岩手の名所、龍泉洞を初めて探検したのが、偶然にも同級の故・越智研一郎君。近く新しい案内パネルが建てられる機会に彼をもっとクローズアップさせたい」。

 

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