2016.03.12
丹波春秋

 井上秀夫婦と親交のあった春日町出身の荻野俊隆について過日、記事にした。鳳鳴義塾(篠山鳳鳴高校)を明治31年に卒業し、19歳で渡米。スタンフォ

ード大学に留学し、アメリカの鉄道会社に勤務したという人物だ。阪鶴鉄道開通に尽くした田艇吉などから「日本という狭い国におらず、世界を見てこい」と勧められ、渡米したという。▼渡米する際、どんな将来構想を描いていたかはわからないが、心中には堅く期するものがあったろう。「志」という言葉を思う。「男児志を立てて郷関を出づ、学ならずんば死すとも還らじ」という、若者の心意気を示した言葉もある。今では耳にしないが、明治の青少年の間では普通に語られていたに違いない。▼優秀な人材を多く育てた鳳鳴義塾。荻野の先輩や同級生には、生涯の友となった元柏原町長の土田文次や元国領村長の上田確郎らがいた。今もその名を残す人物たちと学生時代、熱く語り合い、志を磨いたことだろう。▼教育者の東井義雄はかつて、「中学校などの成績は、頭のよしあしの違いや学力の違いなどよりも『志』のあるなしが基本である」と書いた。しかし今、学校や家庭で志という言葉は語られているのだろうか。▼代わって「夢」が使われているかもしれないが、堅忍不抜を感じさせる点で「志」がまさる。(Y)

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