天災と天恵

2016.04.23
丹波春秋

 春が好きだ。理由の一つは、山菜が楽しめること。春を告げるフキノトウに始まり、タラの芽、ワラビなど山の幸が続々と出てくる。すこぶる美味の山菜だが、人の体にもいいそうだ。というのも、山菜の持つ苦味は、冬の間、あまり働いていなかった内臓に刺激を与え、動きを活発化させるかららしい。▼山菜をいただくとき、自然の恵みのありがたさを思う。ところが、山菜が出た食卓の向こうにあるテレビは、熊本地震の悲惨な状況を映し出している。ここには、人に暴威をふるい、人を震え上がらせる自然の荒々しさがある。▼地震が起こるメカニズムはわかっても、人は地震の発生を防ぐことはできない。できるのは、被害をできるかぎり抑えるよう備えること。荒れ狂う自然の前に人はちっぽけな存在となる。地震や風水害などを「天災」という。自然災害は、卑小な人の智や力を超えているため、先人たちは「天」という概念を持ち出した。▼熊本地震の被災者が「テレビで見るものと思っていた被災がわが身に降りかかるなんて」と話していた。近年、頻発する天災。どこで発生してもおかしくないことを改めて痛感する。▼春が好きな理由に、みずみずしい新緑もある。ただ、新緑の美しさを味わえる環境に今、私があるのは「天恵」と言うべきだろう。(Y)

関連記事