西宮市陸上競技協会長 利根 正さん

2017.02.02
たんばのひと

体育活動で幅広げる

西宮市在住

 1951年(昭和26)篠山市高屋(旧西紀町)生まれ。66歳。川内中、篠山鳳鳴高校、日体大卒。西宮市立東高校教諭を38年勤めた。兵庫陸上競技協会理事、西宮市陸上競技協会理事長、国体陸上競技県選手団監督などを歴任。日本陸上競技連盟終身審判員。同連盟から秩父宮章、西宮市教育功労賞を受賞。

 体育教諭の経験を生かし、地域の多彩な活動で交友を広げる。

 中学校時代から器械体操が得意。高校は体操部がなく、好きな体操を生かせればと、陸上部で棒高跳びを選んだが、棒高跳びをする部員は唯一人。竹のポールで練習を重ねた。2年になる頃に当時、陸上部顧問の植田憲雄教諭(柏原高校長などを歴任)から「近畿大会出場の目標記録340をクリアしたら、グラスファイバーのポール(竹よりも弾力性に富む)を買う」と言ってもらい、半年後に約束を果たした。

 3年の県高校総体では、大会10日前にポールが折れ、新しく注文したが、外国製のため、届くのが遅れた。「予選は竹のポールで通過。決勝には間に合ったが、包装から取り出そうとした時に留め金で指を切り、血が止まらないまま、大会に臨んだ」という。結果は、3位。「近畿では、自己最高の4を跳び、県高校記録を樹立したが、7位となった。6位までの全国大会出場は成らなかったが、精一杯やったという達成感を味わった」。

 体育教師になり、陸上部顧問として後進を指導。「教え子が指導者になり、次の世代を育ててくれるのがうれしい」と笑顔。中学生の育成にも取り組む。阪神地区の陸上競技大会で、西宮の中学だけが総合優勝に届かなかった。「講習会を取り入れ、総合優勝する力をつけた」という。

 1988年に兵庫県で開催の全国高校総体では、総合開会式の責任者に抜擢。アフリカで飢餓に苦しむ人々を救おうと世界同時開催の西宮国際ハーフマラソンも発案した。「様々な人とかかわれたのが大きな財産。小、中、高校と熱心に体育指導してくれた先生に感謝したい」。

 

関連記事