学校教育の今昔

2017.05.27
丹波春秋

 「先生多年の辛苦空しからず(略)世間傳へて近江聖人と呼べり」。5月18日付の新聞に掲載した旧制柏原中学校の入試問題の一文だ。平易な文章に書き直すよう求めているのだが、冒頭の先生とは誰かを暗に問うているのが、この問題のみそ。最後に「近江聖人」とあるから中江藤樹を指し、その名が書いてなければ減点になったと思われる。▼藤樹は江戸時代初期の儒学者で、日本陽明学の祖と言われる。私塾を開き、その教えは庶民の間にも広がった。学者とは徳のすぐれた人をいうのであり、いくら学識があっても徳が欠ければ学者ではないとし、徳を磨くことを重んじた。▼先の入試問題は明治36年のもので114年前。13、14歳ごろの少年が受けていた。小学校で藤樹について学んでいたのだろう。そのことに驚き、今昔の隔たりを思う。▼入試に先立つ明治27年、内村鑑三が『代表的日本人』を出した。西欧に向けて日本人の精神を紹介したもので、5人の人物を同書で取り上げた。その一人が藤樹で、「理想的な学校教師として日本人が尊敬している人物」だとした。▼鑑三は、藤樹を取り上げた章で、かつての日本の教育についてふれ、学校に行くのは、卒業後に生計を立てるためでなく、君子になるためだったと書いている。学校の存在意義にも今昔がある。(Y)

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