本社の熊本地震被災地ツアーの際、35年来の知り合いの女性、Oさんが姪御さんと共に、実家のある南阿蘇村をまる1日案内して下さった。▼現在住む菊池市は比較的被害が少なかったが、南阿蘇の老人施設にいるお母さんは無事だったものの、実家は半壊。しかし村への入り口の大橋が崩壊したため、行けたのは3週間後。天井が落ち、雨で水びたしになった畳を運び出した。墓地もこっぱみじんで、散らばった父のお骨を拾い集めた。▼ツアーの後、送った本紙連載記事への礼状が届いた。実家はよその地から「借りたい」という人が現れ、役場から補助金が出るので修理することに。家の中の物を全部投棄場に運び込むのに、1週間かかった。墓も修復を依頼していたのが、やっと順番が来て一安心。「一つ一つ進んでいくしかありません。復興してさらに魅力のある熊本、阿蘇になった時、また来てください」と結んであった。▼Oさんとは1982年夏、宮崎県延岡―熊本の九州横断150マラソンに出た時に知り合った。3日間、50ずつ大勢で一緒に走るイベントで、仲間と自然に親しくなり、その後彼女が大阪女子マラソンに出場した際には我が家に泊まってもらった。▼南阿蘇村には被災後も移り住んできたいという人が少なくないという。土地も人も魅力的な所だ。(E)