篠山市が開設している結婚相談室がオープンから8周年を迎え、この間、30組の成婚があった、との記事が本紙篠山市版に載った。誠にめでたいことだが、『徒然草』を書いた兼好ならば、どう思うだろうか。なにしろ兼好は『徒然草』で、「妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ」と書いているのだから。▼男の持つまじきものは妻であると喝破した兼好。「どのような女であっても、朝晩一緒にいて顔を合わせていると、ひどく気にくわなくなり、嫌になるだろう」とまで言い切った。▼では兼好は恋愛をあざける朴念仁であったかというと、まったく逆。大いに恋愛を称揚している。「万事にすぐれていても、恋の心を解さないような男はひどく物足りない」といい、「愛の世界のとりこになる経験がなくては、人間としての面白みがない」と、恋愛に無頓着な男をこきおろす。▼妻を持つな、しかし恋愛はせよと言う兼好にとって望ましい結婚の形態は、男が女のもとに通う「妻問婚」だったようだ。古くは、妻問婚は庶民の間にもあったとされ、夫婦のスタイルに対して大らかだったようだ。▼もし兼好が今によみがえったならば、妻問婚という言葉を死語に追いやった世相を嘆きながら、恋愛に奥手な男子が増えているといわれる世情にカツを入れるに違いない。(Y)