前号の本紙篠山市版に、大阪から篠山市の大芋地区にIターンした60歳代の夫婦の記事が載った。趣味の木工を生かし、10年近くかけて手作りで喫茶店を建てたという。このように丹波地域には第二の人生を謳歌する人たちが少なくない。
現役生活と第二の人生の境界線となるのが定年だが、詩人の石垣りんに「定年」という詩がある。14歳で日本興業銀行に事務見習いとして就職。働きながら詩作をし、55歳で銀行を定年退職した。「ある日 会社がいった。 『あしたからこなくていいよ』」で、この詩は始まる。
明日から来なくていい、と会社から言い放たれた人間。たまらず、「そんなこといって!もう四十年も働いてきたんですよ」とつぶやいた。しかし、その言葉は会社には届かない。会社の耳には、会社の言葉しか通じないからだ。相手は会社。人間の言葉は通じない。
現実感があり、身につまされる詩だ。しかし定年は会社と決別する境目ならば、会社人間からさっさと抜け出し、新たな人生を踏み出す覚悟を持たないといけない。
哲学者で教育者の森信三は書いている。「人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって、晩年の人生と取り組まねばならぬ」。これまた身につまされる言葉だ。(Y)