戦友

2017.09.28
丹波春秋

 山南町議や丹波発明研究会会長を務めた横山義胤さんが99歳で亡くなった。筆者の亡父の戦友だ。共に徴兵検査を終えてすぐ満州に出征。間もなく満蒙国境で日ソ両軍が激突したノモンハンの現場に送り込まれた。

 紛争が終結する頃で、直接戦闘には巻き込まれなかったようだが、よほどきつかったらしく、「腹いっぱいぜんざいを食べて死にたいと思いながら行軍した」と父は書いている。

 兵営で20人の同期兵たちが上半身裸で肩を組み合っている写真が、父のアルバムに貼ってある。生死を共にした仲間達の絆は相当なものだったろう。横山さんがリーダー格だったのか、戦後も毎年のように丹波に集まり、大阪神戸からも来られていた。

 筆者が小学生の頃、宴会の後にそろって自宅になだれ込んで来られ、ビール1杯で顔が真っ赤になる父が、珍しくへべれけになって何やらしゃべっていたのをよく覚えている。

 しかし仲間の数は年と共にだんだん減り、晩年は堺市内の寺の住職と3人で往き来していたようだが、12年前に父が、その数年後に住職が逝き、そして最後に残った戦士も遂に消えた。父の葬儀で「天国で他の友と話し合いながら待っていてくれ」との弔辞を下さった横山さん。今頃は「これで全員が揃ったなあ」と迎えられていることだろう。(E)

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