田ステ女にこんな句がある。「松たけはただ一秋を千とせ哉」。マツタケの季節を待ち焦がれる思いを詠んだものという。その思いはよくわかる。しかし、過日、篠山でとれた初物のマツタケが祝儀相場も手伝い、キロ単価100万円の値がついたらしい。どんなに焦がれても、遠のくばかりのマツタケだ。
丹波の秋の味覚はマツタケだけではない。先日、我が家の食卓に栗ご飯が登場した。新米のうま味に栗の甘味が加わり、格別だった。今年初めての栗ご飯。秋の訪れを舌でも味わった。旬の食べ物は、そのもの自体の味だけでなく、季節も味わえる。
郷土史家の細見末雄氏によると、栗の産地として最初に丹波の名前が現われたのは平安時代の法令集「延喜式」だという。当時から丹波は全国最大の栗の産地だったようだ。江戸時代になると、丹波栗はさらに名をはせ、多くの書物にも書かれた。たとえば、元禄10年の「本朝食鑑」には、「丹波山中にあるものを上とす。その大なること鶏卵大の如し」とあるらしい。
「身土不二」という言葉がある。住んでいる土地でとれた物を体に取り入れるのがいい、という意味。我らの先祖たちが営々と栽培を受け継いできた丹波栗は、身土不二の点でも申し分がない。
丹波の黒枝豆が食卓にのぼるのも、もうすぐだ。(Y)