関ヶ原

2017.09.14
丹波春秋

 1600年9月15日、徳川家康率いる東軍と石田三成らの西軍が激突した関ヶ原の合戦。これを扱った映画「関ヶ原」(原田眞人監督)はなかなか見応えがある。司馬遼太郎の原作をベースに、戦いを三成の側から描いているが、詰まるところは「義」を主張するに熱い三成に対し、家康の政治力と調略が勝ったということだろう。

 画面では主役の岡田准一(三成)、役所広司(家康)と共に、平岳大(島左近)とキムラ緑子(北政所)が目を引く。

 政治学者の故・高坂正堯氏は「三成が家康を相手にあそこまで戦いえたということの方が注目に値する」(「関ヶ原」文庫版解説)と書いているが、腹心の左近なくして戦いは成立しなかったろう。岳大は父幹二朗勝りの貫録を示した。

 もう一人の北政所。秀吉の子飼いながら“反三成”から家康に走った加藤清正、福島正則らに少なからぬ影響を与えたと思われる。尾張弁丸出しの緑子は実に存在感を持っていた。

 筆者の勝手な想像だが、秀吉亡き後の北政所は、天下が平和に落ち着いてほしいという以外、豊臣家の存続には執着せず、「秀吉はきゃわいいもんだったけど、ほんまに身勝手だで。まあ男は誰でもそんなもんだて」くらいに思っていたのではないか。それが、家康の天下取りに大きくものを言ったのか。(E)

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