日本舞踊家 西崎祥さん(横浜市、丹波市柏原町出身)

2017.11.12
たんばのひと

「周りに幸せ運びたい」

 「丹波西崎会」の結成30周年を記念した舞踊公演を9月、丹波の森公苑で開催。ホールを埋めた満員の観客を魅了した。「お客さんに喜んでいただけたようで何より。自分が踊ることで、周りの人に幸せを運べたら本望です」と話す。

 柏原町の出身。9歳から日本舞踊を始めた。幼稚園の遊戯で踊る楽しさに目覚め、「この子は踊るのが好きなのだろう」と、両親が習わせてくれた。師匠は、柏原に出稽古に来ていた篠山の西川霞冨美さん。柏原高校を卒業後、上京。「大海に出て、自ら試練を引き受けたい。日本舞踊は、一生の仕事とするのに値するものかどうか見極めたいという思いでした」。高校時代、町の電気店にあったテレビで見て、その踊りにあこがれた初代西崎緑に入門した。

 上京するに際して、西川さんと「3、4年後には丹波に帰って跡を継ぎます」と約束をした。涙の別れをした1年後、西川さんが死去。1989年、柏原の実家に研究所を開設し、丹波西崎会を結成した理由の一つは西川さんとの約束を果たすためでもあった。

 50歳頃から腰に痛みを覚え、19年前、左股関節手術を受けた。手術の1カ月前、母親が死去。「私が死ぬときには、あなたの悪い足を持って行くから」と言い残した母の言葉通り、回復した。80歳になる今も、自宅のある横浜市で日本舞踊を教え、丹波でも教え、東京で地唄舞などの研さんを積む日々を送る。

 「『西崎祥舞踊公演』というタイトルの公演は、先の公演で最後にするつもり。でも、周りから公演を見たい、公演をしたいという流れになれば力を注ぎます。芸の道は永遠ですから」と話す。

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