5月1日は、労働者の祭典「メーデー」の日である。日本で第1回メーデーが行われたのは大正9年(1920年)。東京・上野公園を会場に1万人余りが参加した。その中に少なくとも二人の丹波人がいた。
一人は、平凡社の創設者で教育者でもあった下中弥三郎だ。下中は前年に日本で最初の教員組合である「啓明会」を設立。啓明会を率いてメーデーに参加した下中は代表演説をし、教育の機会均等を訴えた。メーデーで行進するときに歌う歌も作詞したという。
もう一人は市島町出身の無政府主義者、近藤憲二。メーデーでは、同志と共に労働運動に対する自分たちの考え方をしるしたビラを参加者に配った。「四時ごろ『労働者万歳!』を三唱して閉会したが、会衆は期せず隊をなして上野の山を下り、制止しようとする警官隊をはねのけて進み」などと、自伝に初のメーデーの熱気をつづっている。
昭和11年、メーデーは全面禁止になったが、昭和21年に再開され、労働環境の改善などを訴えた。かつては本紙でも丹波地域で行われたメーデー集会を記事にしたものだった。しかし、今はその記事はない。
そもそも若い人で、どれほどの人がメーデーを知っているのか。メーデーの一つをとっても「昭和は遠くなりにけり」と思う。きょう29日は「昭和の日」。(Y)