杉浦忠の手紙

2019.02.14
丹波春秋

 往年の大投手、元南海ホークスの杉浦忠(01年死去)が立教大1年の時に実家の兄に宛てた手紙のコピーを筆者友人が手に入れ、見せてくれた。「6、7月分の食費8千円を大至急送ってほしい」との用件のほかに、「練習で絞られ食欲も細り、寝ていてそのまま死んでしまったらいいのにと思う」などと愚痴を書き並べている。

 当時、スパルタ教育で有名だった砂押監督が率いる立教は、上級生が下級生にビンタを浴びせることも珍しくなく、杉浦もこの手紙の後間もなく、春のシーズン終了後に合宿から実家へ脱走。優しかったはずの父に厳しく叱られてまた戻っている。

 砂押さんにはついていけないという機運が大沢(後に日本ハム監督)ら上級生にも広がり、同監督は辞職に追い込まれた。しかし杉浦が長嶋と共に4年になったリーグ戦では春秋連覇を果たし、立教の黄金時代が到来。著書「僕の愛した野球」に、「我慢強くなれたのは砂押さんのお陰」と、恩人のように書いている。

 南海の鶴岡監督から「西鉄をやっつけるのに手を貸してくれ」と頼まれ、球団から“栄養費”をもらっていた両雄のうち、長嶋はちゃっかり巨人入りしたが、杉浦は義理を守った。

 大学時代から何度も肩や肘を痛めるなど、必ずしも順風満帆ではなかった杉浦を偲ばせる冒頭の手紙だ。(E)

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