「虚実混交の大河楽しみ」 光秀と激闘の波多野氏 地元住民が学習会

2019.03.24
ニュース丹波篠山市明智光秀と丹波地域

「波多野氏の謎を探る」と題して講演する田中さん=2019年3月9日午後1時35分、兵庫県篠山市糯ケ坪で

来年のNHK大河ドラマが戦国武将・明智光秀を主人公にした「麒麟がくる」に決定したことを受け、光秀に滅ぼされた波多野秀治の居城・八上城のおひざ元の住民でつくる兵庫県篠山市の「八上城麒麟がくる委員会」(小野健二委員長)がこのほど、「波多野氏の謎を探る」と題した学習会を開いた。家紋・戦国研究家の田中豊茂さん(65)を講師に迎え、謎多き波多野一族の歴史に迫る講話に熱心に耳を傾けた。

波多野秀治イメージ画(兵庫県丹波市在住・中川英明さん提供)

天正5年(1577年)、織田信長に命じられた光秀は、態勢を整え2度目の丹波攻めを仕掛け、同7年には八上城を兵糧攻めにした。田中さんによると、光秀が知人に送った手紙に、「400―500人が餓死しそう」との記述が残っているので、「波多野勢は1000人近くが籠城(ろうじょう)していたのでは」と説明した。

同市曽地地区にある「曽地の天正首塚」の伝説についても紹介。光秀は兵糧攻めで餓えた兵士たちが逃げ出してくるものと監視していたが、一向に城から逃げ出してくる者はいない。不思議に思った光秀だったが、八上城の南東にあった寺院「四十九院」などの僧侶たちが山伝いに八上城へ食べ物を運んでいることを突き止めた。怒った光秀は四十九院を焼き討ちにし、食べ物を運んだ僧侶らを処刑したという。

田中さんは「(隣接する兵庫県三田市の)永沢寺の方から山越えして八上城に兵糧を送ったという伝承が残っていることもあり、この伝説はまんざらうそではないのかも」と話す。

最後に「いろんなことが語られているが、分からないことは分からないというしかない。そこを想像で補ったり、『私の先祖や自分たちの地域には昔、頑張っていた人がいた、ということ大事にしたい、顕彰したい』という気持ちが今に語り継がれているのだと思う」と言い、「歴史というのは、うそと本当が混ざり合って伝説となり、後世に語り継がれるもので、真偽を探っていくことが歴史の面白い。『麒麟がくる』では、どのように虚実混交して語られるかが楽しみ。丹波攻めの話が入っていればうれしい」と締めくくった。

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