両陛下や皇太子さまもご来訪 今もなお市民の記憶鮮明に

2019.04.29
ニュース丹波市丹波篠山市地域

昭和57年(1982)7月、児童らのコーラスを聞かれた両陛下=兵庫県丹波市青垣町で

天皇陛下の退位、皇太子さまの即位が間近に迫った。平成が幕を閉じ、新時代令和が5月1日、始まる。天皇皇后両陛下、皇太子さま共に過去、兵庫県丹波市、篠山市に来られたことがあり、当時の思い出を振り返ってみたい。

 

美智子さまの優しいお言葉に、「伝統受け継ぐ使命感」

昭和57年(1982)7月、県立丹波文化会館で稲畑人形の実演を見学された両陛下。左端が赤井君江さん=兵庫県丹波市柏原町で

 昭和57年(1982)7月28日、当時、皇太子ご夫妻の両陛下が兵庫県丹波市青垣町の丹波少年自然の家、同市柏原町の県立丹波文化会館(現在、丹波の森公苑)を訪ねられた。27日に同県城崎郡香住町(当時)で開かれた「全国豊かな海づくり大会」に臨席され、翌日、丹波入りされた。

 少年自然の家では、地元の児童と保護者の親子写生大会をご覧になり、コーラスを聞かれるなど、ふれあいを深められた。

青少年の健全育成にかかわる人たちとの懇談もあった。懇談に臨んだ一人が、人形劇を通してふるさとの民話を伝えているグループ「みつばち」のメンバー(篠山市)は、「美智子さまからやさしいお言葉をかけていただき、緊張することなく活動を伝えることができました」と回顧。「その日、何を着ていくか悩みました」と振り返り、水玉のワンピースと黒いジャケットを新調。「そのときの服は、思い出の品として今も大事においています」とほほえんだ。

丹波文化会館では、丹波市氷上町に伝わる稲畑人形の実演を見学された。5代目の赤井君江さん(85)=丹波市=がお二人を前に実演した。当時、小学校教諭だった赤井さん。「皇太子さまから『学校の先生をしながら稲畑人形を守っていくのは大変でしょうね。がんばってください』などと、お言葉をいただきました」

4代目の母親が前年に亡くなり、5代目を名乗っていたものの、当時は学校の仕事が忙しく、5代目は名ばかりだったという。定年退職後、本格的に人形制作に打ち込んだ。「『がんばってください』と言われたから、稲畑人形を受け継ぐことに使命感を持てました。私の人生を変えた出会いでした」と話す。

同会館では、氷上郡少年少女合唱団のコーラスも聞かれた。その際、団員を代表しお二人にブーケを渡した女性(46)=丹波市=は、「当時は小学4年生。ピンときていませんでしたが、祖父母は『光栄なことだ』と喜んでいました。今になって思うと、本当に光栄な役を仰せつかったと思います」という。「ご苦労があったと思いますが、お互いに思いやっておられるお二人の姿をテレビで拝見すると、こちらも幸せな気持ちになりますね」とほほえんだ。

 

皇太子殿下は国史跡の篠山城跡ご見学「さわやかなお方」

研修旅行で篠山城跡をご見学になった浩宮さま=昭和54年(1979)11月26日、兵庫県篠山市で

 皇太子・浩宮さまは、学習院大学文学部史学科に在籍されていた昭和54年(1979)11月26日、研修旅行の一環として兵庫県篠山市を訪問し、篠山城跡と同市内の大山荘園跡をご見学になった。

 研修旅行は大学の日本史ゼミが近畿各県などの荘園跡、社寺を見学し、中世史の理解を深める目的で実施されたもの。

浩宮さまは、同市の老舗旅館「近又」に宿泊され、ご学友とともに篠山城跡をご見学。グレーのズボン、白のタートルネックセーター、紺のブレザーという軽装で出かけられ、天守台などからはカメラを手にご自身で篠山盆地の風景を写真に収められた。

その後、バスに乗り、同市大山地区をご訪問。東寺の荘園「大山荘」について教授から説明を受けられた。

元篠山新聞記者の岸田吉夫さん(92)=篠山市=は、当時、篠山城跡で取材したことを今も覚えている。「お城を見学されて帰られるところで写真を撮らせていただいた」と言い、「詰めかけたまちの人にも手を振って応えられ、とてもにこやかにされていた。あのさわやかなお方が天皇になられるということでうれしい気持ちです」と話していた。

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