「実はな、わし、医者になろうと思うねん」ええ、この人はまた、いったい何を言い出すのか?……「自分でもようわかっとる、わしももう50歳や。今から医者を目指すってことはどういうことか」
ラジオパーソナリテイや、円応教での演奏会などで丹波にも馴染みの歌手、加藤ヒロユキさんの近著「人間いたるところ青山あり―父に捧げる乾杯のうた」(春秋社)。父、正彦さんは56歳で医学部に入学。本懐を遂げたのは61歳の時だった。
京大法学部を出てテレビ局に就職。その後も男性ファッション、興行会社、ジャズクラブ、レストラン経営など起伏に富んだ人生だったが、「でも、何かをもう一度」と選んだのが医師の道。経験を買われてやがて院長になるが、60代半ばで「余命半年」という癌の宣告を受けた。
しかし「手術が出来ないなら癌と共生する」と、79歳まで生きた。その間ずっと病院へ仕事に通い、夕方帰宅すると若い頃から好きだった映画のビデオを買い込んで楽しむ。「癌をおとなしくさせるには笑いが一番」と、末期の患者とも一緒に笑い、時にはヒロユキさんを病室に招いて歌わせた。
やはり京大法学部を出て異色の道に入ったヒロユキさん。音楽、映画、演劇、そして自由な発想。あらゆる肥やしをつぎ込んでくれた人生の師が正彦さんだった。(E)