「障がいに甘えるな」 リオパラ銅メダリストが講演 走幅跳び日本記録の芦田さん

2019.12.03
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講演する芦田さん=兵庫県丹波市山南町和田で

2016年のリオデジャネイロパラリンピックの4×100メートルリレーの銅メダリストで、走り幅跳び(T47/上肢障がい)の日本記録保持者でもある兵庫県丹波市出身の芦田創さん(25)=トヨタ自動車=がこのほど、同市山南町の和田小学校(202人)で講演会を開いた。「より遠くへ」と題し、自身の障がいやリオパラ五輪の挑戦などについて話し、目標を持つことの大切さを伝えた。児童たちは、世界で挑戦を続けるふるさとの先輩に、あこがれのまなざしを向けていた。

右ひじが脱臼した状態で生まれ、幼少期、脱臼治療の過程でデスモイド腫瘍ができた。摘出手術や放射線治療を繰り返すうちに右腕の成長が止まり、機能障害となった。

走るのが大好きだった芦田さん。15歳の頃、半ばあきらめた気持ちで陸上を始めると、腫瘍の進行が止まった。「自分の好きなことに挑戦すると気持ちがどんどん明るくなる。病は気から。心が暗くなると何もかもがネガティブになる」。

腫瘍の進行が止まったことで、腕を切断しなくて済んだものの、体の右側は10歳、左側は大人。腕の重さが左右で2キロも違い、「バランスの悪い体になった」。

陸上競技に励んだが、努力した分の結果が返ってきたのは1―2年くらい。伸び悩み、けがが続いたとき「自分には障がいがあるから何をしてもだめだ」と思うようになった。「つまらない」と思いながら陸上を続けていた20歳の頃、コーチから「障がいに甘えるな」と言われた。「この言葉が自分を変えた」。

「できないことがあるのを認める。障がいがあるということは自分の力ではどうにもならない事実。しかし、できないこと以外は可能な範囲で使い切る方法を見つける。私は脚には障がいがない。もっと遠くへ跳ぶにはどうすればよいのか考えるようになった。目標を持てば人は強くなれる」と熱っぽく語りかけ、「障がいの有無にかかわらず、頑張っている自分に誇りが持て、周りも頑張っている人を応援できる。そんな励まし合える社会になっていけばいいよね」と締めくくった。

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