明智光秀が丹波国平定戦「丹波攻め」の際に兵庫県丹波市の柏原(かいばら)の八幡山に築いたという説もある「八幡山城」をテーマにした講座がこのほど、同市で開かれた。同県教育委員会文化財課の永惠裕和さんによる講演と現地視察があった。
城館研究を専門とする永惠さんは、今は3度目のお城ブームがきているとし、「戦前と戦後にも1回ずつあり、各地の天守閣が復興された。兵庫県は国指定史跡が22城あり、全国最多。約1300カ所の城館跡がある。播磨、但馬、丹波、摂津、淡路の旧五国は、まさに『五国豊城』」と話した。
八幡山城については、現在は柏原八幡宮となっている現地を歩きながら、「お城の構造がはっきり残っている所は少ないが、神社は必要のない段差がたくさんある。発掘調査をしないと分からないが、前にあったお城の構造を引き継いだのでは」と見解を述べた。
光秀が八幡山城を利用していた可能性については「否定できない」とし、「『兼見卿記』に『加伊原(かいばら)新城』を普請中の光秀を見舞ったとあり、柏原にいたことは事実。新城というからには旧城があったはず。それぞれがどこを指すかは分からない」とした。
また「織豊期には礎石を使うようになり、戦の時は城を分解して運んだ。このため城館跡はあまり残っていない。あちこちにある山城へは誰でも行けるので、みなさんも行ってみて」と話していた。