「丹波の赤鬼」の資料ずらり 光秀と激戦の赤井直正 大河「麒麟がくる」ちなみ展示

2020.02.07
ニュース丹波市地域明智光秀と丹波地域歴史特集

黒井城や直正などの戦国時代にスポットをあてた特別展=2020年1月30日午後2時18分、兵庫県丹波市春日町黒井で

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放映にちなみ、兵庫県丹波市春日町の春日歴史民俗資料館で特別展「つわものどもが夢の跡―黒井城と直正」が開かれている。同市には戦国時代、「丹波の赤鬼」と呼ばれて恐れられた赤井(荻野)悪右衛門直正が城主をつとめた黒井城があり、明智光秀による丹波国平定戦「丹波攻め」により落城した。その歴史を60点の資料を通して紹介。市内はもとより市外からも歴史愛好家が訪れている。3月8日まで。

天正年間、織田信長の命を受けた光秀が「丹波攻め」を展開。同3年、丹波国に覇を唱えていた直正との戦いでは、光秀軍を挟み撃ちにする戦法「赤井の呼び込み戦法」により、光秀は敗走。この作戦は、同県丹波篠山市の八上城主・波多野秀治が赤井方に寝返ったことに起因するともいわれ、直正と秀治との間にかねてからの密約があった可能性もあるという。光秀は同6年、再び黒井城を攻め、直正を病で失っていた赤井方は敗れ、黒井城は落城した。

展示会場では、「氷上郡(現丹波市)の国人・赤井氏」「荻野氏と朝日城」「黒井城と直正」「丹波攻め」などのコーナーに分けて展示している。

江戸時代に作られた「黒井城絵図」には、城の主郭部や直正が暮らした下館の興禅寺などが描かれ、主郭部の石垣は全面的に残存しているように描かれている。絵図の端には、城主の遍歴や落城後の一族の消息などが書かれている。黒井城跡から出土した丸瓦や陶磁器なども展示。

直正所用の槍や、直正の2番目の正室が使っていたと伝わる鏡のほか、直正の書状や、絹地に「八幡大菩薩」と染色し、同市柏原町の柏原八幡神社に奉納された軍旗、直正の幼名「才丸」時代から丹波攻め、本能寺の変、山崎の合戦を経て秀吉の治世までが記された「赤井軍記」もある。

波多野秀治を描いた軸や、秀治が所用していた太刀、波多野氏と光秀軍の戦いを描いた「丹波八上城高城山合戦図」なども並ぶ。

全国に数ある織田信長の画像の中で、唯一ひげのない姿を描いた軸もあり、目を引く。月曜日休館(祝日の場合は翌日)。

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