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先日最終回を迎えたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。兵庫県丹波市と同県丹波篠山市は、主人公の明智光秀が苦戦を強いられた「丹波攻め」の舞台。劇中「丹波攻め」はほとんど描かれなかったものの、光秀と戦った波多野氏の八上城(丹波篠山市)、赤井(荻野)氏の黒井城(丹波市)に、多くの観光客が訪れている。共に山城が史跡になっており山頂から武士が見た景色が見られる。
丹波篠山市が高城山で行った山頂や駐車場の整備に応えるように、登山客は増加。「高城山へ登ろう会」幹事の山口喜昭さん(70)は「土、日曜日を中心にずいぶん登山客が増えた。これからもまだまだこの傾向は続くのでは。登山道の整備はこれまでどおり地道にしていきたい」と話す。
高城山は、NHK大河ドラマ後の「紀行コーナー」でも取り上げられた。大河を機に結成された「八上城麒麟がくる委員会」の小野健二委員長(43)は、これまでに30回ほど案内登山をした。「コロナ禍でも個人での登山客はむしろ増えた印象」と話す。同市観光交流部の赤松一也部長は「高城山は、これからますます多くの人に楽しんでもらえるだろう。かけた費用以上の効果があった」と胸を張る。
登山客が大きく増えたのは、同様に光秀に攻め落とされた黒井城跡も同様だ。2017年に日本城郭協会の「続日本100名城」に選ばれて以降、登山客が増えていたが、「大河」でいっそう人気が高まった。駐車場に他府県ナンバーの車が見られるようになり、特に週末は多くの人でにぎわうようになった。
黒井城の下館だった興禅寺の森野大乗住職によると、「お参りに来る人はいつもの年より格段に多い」と言う。服装から「登山に来て立ち寄っている人が多いのでは」とみている。大河の紀行コーナーでは、関白近衛前久が一時、身を寄せていたと紹介された。「近衛前久が設計した庭はここですか」と尋ねられることもあり、大河の影響も感じている。
黒井地区自治協議会の藤本修作会長(69)は、「“麒麟”は黒井城跡に来たんじゃないかな」と笑顔。「城跡は大河が終わってもなくならない。雲海も素晴らしく、今後も登りに来る人は多いと思う」と期待している。
丹波市観光協会が発行した黒井城の「御城印」は、4000枚以上が売れた。同協会発行の「丹波市でめぐる明智光秀と赤井(荻野)直正ゆかりの地ガイドブック」は、1500冊以上を売り上げた。歴史系の雑誌に御城印とゆかりの地マップ、ガイドブックの広告を掲載したところ、全国の歴史ファンから問い合わせがあったという。同協会は、全13回の「市民観光おもてなし講座」や、「ゆかりの地バスツアー」なども開催し、ソフト面を中心に市民の盛り上げに奮闘した。
黒井、八上の両地域では、住民らによる地域づくりが盛り上がっただけでなく、京都府の福知山市、亀岡市を含めた4市のつながりも生まれた。
黒井地区自治協議会が主催し、直正の弟、幸家の子孫とされる俳優の赤井英和さんをゲストに招いた昨年11月の「黒井城まつり」。八上城麒麟がくる委員会、京都府福知山市の甲冑隊、京都府亀岡市の鉄砲隊らも武者行列に参加した。同委員会の小野委員長は「戦国時代は敵と味方だった4市で交流できるようになったのが一番大きな収穫だった」と振り返る。
また丹波地域ビジョン委員会のグループ「つなぐ」が主催したイベントでは、黒井城、八上城、金山城(丹波市と丹波篠山市の市境の金山に光秀が築いた山城)の三山で同時にのろしを上げた。同じ日に黒井城跡の山頂で、戦国時代の情景を再現する大規模な催しを行った「黒井城跡地域活性化委員会」の吉住孝信委員長(72)も、「“大丹波”の各団体と連携できたのが何より大きい。それぞれの地域の催しに参加し合ったりと、手を結べたことに満足感でいっぱい」と話した。
丹波市観光協会の足立はるみ事務局長(61)は「“麒麟”は地域のヒーロー、直正だったのかも」としつつ、「これからが大事。培ったネットワークを保ち続けられるかが一番の課題」と話した。
約440年前、光秀の丹波攻めで、丹波地域の多くの山城は滅ぼされた。しかし今回の大河で、その歴史ゆえにこれらの山城の存在感が高まった。また、アウトドアの城山登山は、コロナ禍で選ばれるレジャーとなった。吉兆をもたらす“麒麟”は、丹波地域では山城に舞い降りたのかもしれない。そこを大切にしたいと願う人たちに呼ばれて。