新設「有望」も実現せず 昭和にあった夢構想 福知山線「幻の駅」を追う(上)

2022.04.16
地域歴史

かつて「春日部駅」が設置される可能性があった多田踏切(画像の一部を加工しています)=2022年4月12日午前11時2分、兵庫県丹波市春日町多田で

実現しなかった「幻の駅」―。記事を書くとき、行政が発行した「町誌」をよりどころにすることが多々ある。町の成り立ちや議会、教育など幅広い項目で書かれているが、ふと、兵庫県丹波市の「春日町誌」(昭和34年発効)を読んで調べ物をしていた時、気になる記述を見つけた。「春日部駅設置の運動」とのタイトルで、わずか5行の記述。後半部分を抜粋すると、「(昭和)33年8月国鉄福知山管理局の認める処となり、請願書が国鉄本社に進達せられ、近く実現の見通しがつくことになっている」―。場所は、現在のJR福知山線の黒井駅と市島駅の間。同町春日部地区に実現したかもしれなかった「幻の駅」を調べる。

うれしい「うわさ」に小躍り

「春日部駅?聞いたことありますよ。確か、今の(春日町)多田にある踏切の辺りだと聞いたかなあ」―。そう語るのは同町の男性(77)。幼い頃、校区内に駅ができるとうわさが流れ、うれしくて小躍りした記憶があるという。

この踏切は、現在では「撮り鉄」「てっちゃん」などの愛称がある鉄道車両の撮影を楽しむ人が集う場所辺り。トンネルを抜けた電車が、田園地帯をさっそうと走る姿をカメラに収められる絶好の撮影スポットだ。一方で、複数の国鉄OBから「記憶にない」という証言もあった。

同町誌によると、旧春日部村時代の1947年(昭和22)7月、村会議員らが春日部駅の新設を求める運動を起こし、関係当局の了解を得ていたが、巨額の地元負担により実現には至らなかったとある。その額「約300万円」。日本銀行のホームページによると、お金の価値を単純比較することは難しいが、現在の価格に換算すると数千万円になるだろうか。

一度はとん挫した「夢」だったが、町誌には「その後度々陳情し」とあり、その結果、冒頭の「―実現の見通しがつくことになっている」につながる。書きぶりから、関係者が熱意を持って取り組み続けた様子が読み取れる。

当時の陳情書などがないかJR西日本福知山支社に問い合わせると、民営化前のものは保管していないという回答だった。

過去の丹波新聞から

1958年8月30日付の丹波新聞の記事

さらに町誌を読み進めると、「町村合併の条件として『黒井駅、市島駅間に中間駅を設置する』ことも、協定されており―」とある。1町、4村が合併し、春日町が産声を上げたのは55年(昭和30)3月20日。同日付の丹波新聞の記事を確認すると、同町発足により「実現を期する国県への要望事項」として、「運輸省関係」の項目に「福知山線黒井市島間に急速に中間駅を設置されたい」と挙がっている。

その3年後、58年(昭和33)8月30日付の新聞では、見出しに「駅(春日多田)新設は有望 国鉄本社で検討中」とあり、「団鉄関西支部」が調査役員会議で新駅の設置を認め、「国鉄本社に上申した」とある。

この記事によると、当時の同町長が同年5月、「黒井―市島駅間(春日町多田付近)にジ(ディ)ーゼルカー停車駅を設けてほしい」と福知山駅に請願していたと記され、国鉄の認可が下り次第、▽地元が工費150万円を負担して着工▽プラットホーム130メートル▽待合室を備える▽ジーゼルカーのみが停車予定▽一日の乗降客は約150人―と書かれている。

ここまで具体的だった春日部駅は、なぜ実現しなかったのか―。

=つづく。

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