なぜそこに… ふれあいセンターに二宮金次郎像 実は小学校の名残【シリーズ・丹波ムー】

2023.02.13
地域

栗柄ふれあいセンター前に立つ二宮金次郎像。なぜそこに…=兵庫県丹波篠山市栗柄で

取材に向かう途中、何げなく辺りに視線を送っていると、「えっ?」と声が出た。兵庫県丹波篠山市栗柄で思わず二度見してしまったのは、「二宮金次郎」の像。そこは「栗柄ふれあいセンター」。いわゆる地域の集会所だ。いったい、なぜ―。

二宮金次郎(尊徳)は、江戸時代後期の人物。裕福な家に生まれたが、川の決壊で田畑と家が流され、借金を抱えてしまう。しかし、金次郎は、早朝は薪を拾い、昼は田畑で働き、夜は草鞋を作って一家を支え、勉学にも励んだ。成長した金次郎は藩の財政を立て直したほか、村を復興するなど、数多くの功績を残した。

像は幼い頃の姿。勤労・勤勉のモデルであり、明治から昭和初期にかけての教科書にも取り上げられ、各地の学校に像が設置された。ただ、「勤労少年は今の時代にそぐわない」「『ながら』はよくない」などとして、姿を消しつつある。

センター入り口に残る門柱。小学校の名残がある

その像がなぜ、学校ではない場所にあるのか。栗柄自治会長の西澤和也さん(68)を直撃すると、「昔、ここに学校があったから」。

その名は「北河内第二小学校」。明治36年に開校し、昭和30年、町村合併で「西紀第二小学校」に改称し、昭和42年に閉校、第一小学校と統合し、現在の西紀小学校となった。ちなみに西澤さんは第二小の最後の卒業生だ。

金次郎はかつて小学校があったことを今に伝えている。像の前で一人たたずんでみる。まぶ

いいお顔

たを閉じると、栗柄っ子たちの遊ぶ姿が浮かんできそうだった。

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