流転の藩主を崇敬 越後から「学問の神」 田園にたたずむ廟所

2023.07.02
たんばの世間遺産地域歴史

田畑の中にポツンとたたずむ村上忠勝公の廟所=兵庫県丹波篠山市黒岡で

当たり前にありすぎるけれど、住民が大切にしていきたいもの「世間遺産」―。丹波新聞では、兵庫県丹波地域の人や物、景色など、住民が思う”まちの世間遺産”を連載で紹介していきます。今回は丹波篠山市黒岡地区にある「越後国村上藩主の廟所」です。

田園風景の中にポツンとたたずむ社。祭られているのは地蔵ではなく、越後国村上藩の2代藩主・村上忠勝公だ。

慶長15年(1609)、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康によって篠山城が普請された翌年、初代藩主で養父の頼勝が亡くなり、忠勝が跡を継いだ。

殖産振興や金山の産出量増に取り組んだが、元和4年(1618)、家中騒動を収められなかったとして改易された上、篠山へ流された。

法昌寺に伝わる忠勝公の木像

忠勝は篠山城で生活し、5年後、25歳の若さで亡くなった。没後、黒岡村の廟所に埋葬され、実際には以前からあったものの、忠勝を開基とする法昌寺には木像と位牌が残る。

忠勝や家臣が村人に読み書きなどを教えていたと伝わることから、「学問の神」としても崇敬を集めたこともあり、地元自治会や檀家らは毎年、命日に当たる9月26日に法要を営み、今も流転の生涯を送った忠勝を弔っている。昨年、400回忌を迎えた。

同寺の谷垣飛翔住職(29)は、「読み書きについては、少しでも丹波篠山での評判を良くしようと努力されたのでは」と推測。そして、「住民は短い期間とはいえ、地域に貢献されたことへの感謝や、鎮魂のために祭り続けておられ、そこには慈悲の心がある。これからも大切に祭り続けていきたい」と話している。

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