デカンショ

2015.05.02
丹波春秋

 明治31年夏、館山市の江戸屋旅館でのこと。旅館の1階には旧制一高の水泳部員、2階には篠山出身の若者らが投宿していた。ある晩、2階から「毛が生えた」という歌声が聞こえてきた。▼「不届きだ」と憤り、2階に上がってきた一高の学生に、篠山の一行は歌詞を説明した。「丹波荒熊 男子の胆に おやじこれ見よ 毛が生えた」。胆に毛が生えるという豪胆な歌詞だとの説明に一高の学生はすっかり感心し、歌詞を教えてもらった。これが書生節としてデカンショが全国に広まったきっかけだと言われている。▼デカンショには開放的な明るさがあるが、それ一辺倒ではない。象徴的なものが、「デコンショデコンショで半歳くらす あとの半歳なきくらす」だ。明治40年頃に多紀郡教育委員会が採集した歌詞の中にあるらしい。▼よく知られた「寝て暮らす」と対極にある「泣き暮らす」。丹波杜氏の夫を送り出した女性の悲しみを歌ったものか、浅学にして知らないが、情感豊かな歌詞だ。「毛が生えた」と「泣き暮らす」。明暗が織り成す深みがデカンショにはある。▼デカンショをテーマにしたストーリー性が評価され、篠山市が「日本遺産」に認定された。心意気や生活感情をデカンショに託した先人たち。デカンショ同様に、深みのある地域になることが求められる。 (Y)

 

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