先ごろ亡くなられた哲学者、鶴見俊輔氏の著書『戦時期日本の精神史』の中に、「原爆の犠牲者として」という論文がある。日本は早晩、降伏すると予期していたのに、なぜアメリカは広島、長崎に原爆を落としたのかを関係者の証言から明らかにしている。▼理由の一つが、原爆の製造開発のために2億ドルとも言われる多額の費用を投じたこと。科学者らは、巨大な投資を盾にとって原爆投下の実験を望んだという。原爆の開発に費やしたお金が投下の引き金を引き、人の命はかえりみられなかった。▼さらに、相手が有色人種の日本人ではなく、白人であったならば原爆を落としただろうか、と指摘したフランス人の新聞記者もいたという。人種差別も原爆投下の背景にあったかもしれない。▼何とも理不尽だが、理不尽はそれだけでは終わらない。10年前、丹波地方に住む被爆者を取材し連載した。そのなかの一人に、被爆体験を20年近く話せずにいたという人がいた。被爆者に対する偏見があったからだ。被爆者と結婚すれば子どもができない。できても、障がいを持った子が生まれる。そんな話が巷でささやかれたため、後遺症に悩みながら被爆体験を明かせずにいた。▼理不尽で愚かしい現実。それは歴史のひとこまであったと言えるか。繰り返してはいないか。(Y)