岩手県陸前高田市は大震災の復興工事で年々様相を変えている。5年ぶりに会った實吉義正さんが、廃線になった鉄道駅の近くに筆者を案内した。「1960年、チリ地震で1・5メートルの津波が来た時、高校生の私はこの裏手にある友達の家に泊まっていました」。
消防団から「裏山に逃げろ」と指示され登っていくと、沖の水が全くひき海底がぽっかりと見えていたのが、今も忘れられない。その家はさらわれずに残ったが、7年前の大津波では完全にやられてしまった。
「とにかく高い所へ」というのが津波に対する鉄則。以前から訓練は続けられていたが、チリ地震後、5・5メートルの防潮堤が作られたことで安心し、犠牲者を多く出したのでは、という。堤防が今度さらに12・5メートルになっても状況は変わらないかも。
同市は湾に面した間口が三陸の他の町より格段に広く、中心部がすべて流された。その跡の地盤を2~8メートルかさ上げする工事がどんどん進んでいる。数年前は町中にベルトコンベアが張り巡らされ土砂のコンテナが走り回っていたが、今は土地の形が随分出来上がり、立派な病院や体育館、ショッピングセンターが建った。
しかし、どこまで人々が返って来るのか。町内会はほとんどなくなり、いざという時にどれだけ迅速に避難できるか。實吉さんは顔を曇らせた。(E)