軽井沢の浅見光彦記念館で作家、内田康夫氏の霊前に献花した。先月から1カ月間受け付けられ、全国から毎日2百人ほどのファンが来ている。佐久間良子さんや竹下景子さんら光彦の母親役からの花もあった。
内田さんに丹波とドイツを舞台にした「遺譜」を書いて頂いたのは4年前。「光彦最後の事件」と副題が付き、その後、毎日新聞連載中の「孤道」が病気で中断したので、完成作としては「遺譜」が遺作と言える。館内に展示された日本地図に小説の舞台が書き込まれ、161番目の「遺譜」も兵庫県の所にあった。
初めて丹波にお招きした時、宿は神戸のホテルに取る意向のようだったが、「折角丹波に来られるのだから」と地元の農家民宿をお勧めした。出版社の人が心配してか、写真を見たいと言われたので、寝室やトイレ、浴室、宿の主人夫妻などを撮って送り、OKがおりた。
翌朝、同行した夫人が「シーツもぱりぱりで、清潔な宿でしたね」と言われ、内田さんも上機嫌で急に市役所行きを望まれ、当時の辻市長にも会って頂いた。後日また篠山にも来られ、数年かけて大作が完成した。
作中の丹波弁を監修させてもらい、お礼に大阪のホテルで中華料理をご馳走して頂いたのが、最後となった。物静かで偉ぶることのない、折り目正しい人だった。合掌。(E)