田中角栄氏と福田赳夫氏が自民党総裁の座を争った72年の角福決戦で、丹波市出身の代議士、有田喜一氏はその争いの渦に巻き込まれた。田中氏が次第に優勢となるなか、福田氏の右腕といわれた有田氏は陣営から猛烈な突き上げを食らった。▼田中氏の勢いの背後には金の力があるとみられたため、陣営から「こちらも金を出せ」と求められた。「何もしないで、それで金庫番か」と連日のように罵倒された。しかし、福田派には田中派のような金はなく、福田氏もそんな金をつくる気はない。その板ばさみに有田氏は苦悩した。▼ある日、有田氏はNHKの記者を呼び出し、「田中派は担当記者に金を渡しているらしい。こちらもそうするならば、福田派担当のどの記者に渡せばいいか教えてほしい」と言った。その目には涙がにじんでいた。▼以上は、このNHK記者の川崎泰資氏が、雑誌「世界」(1994年1月号)に書いている話だ。「清廉で鳴る老政治家」の有田氏までも引きずり降ろした総裁選だった。▼貧しい家に生まれながら首相にまで登りつめた田中氏のバックには金の力があった。それは、経済成長に狂乱した時代の写し絵でもあった。そして今回の総裁選。立候補している三氏はいずれも世襲だ。血筋が幅を利かす総裁選は、閉塞社会の写し絵に思えてならない。(Y)