平山郁夫の絵は完璧すぎて、あまり好きでなかったが、数年前、佐川美術館(滋賀)で観た「サラエボの祈り」という作品に釘づけになった。旧ユーゴ、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都。内戦で廃墟と化した町を背に、子供達が並んでいる。
一人一人の瞳が哀しみの中にどこか希望も失っていないように見え、いつか大人になった彼、彼女らに会ってみたいとさえ思わせるような筆力に、今さらながら感じ入ったのだった。
先日、故郷広島のしまなみ海道の生口島にある平山郁夫美術館を訪ねる機会があり、小学生の時、絵日記に描いた絵がたくさん残されているのに感心した。海水浴や釣り、虫取りや花火など、のびのびと遊んでいる情景が活き活きと伝わってくる。
入学する前から姉の鉛筆を勝手に使っていたずら書きしていたのに母が目を付け、クレヨンを買ってくれたのが始まり。小学校では春、夏、冬休みに毎日午前中1、2時間、早く海に飛び出したい気持ちを抑えながら机につなぎとめられ、計18冊の絵日記帳がそろった。
自然に「今日はこれを描こう」、「この時のことを描けばいいな」と考えるようになり、絵になる構図、描きとる瞬間を見極められるようになったとか。子供はのびのびと、要所だけ押さえて育てるのが一番ということか。
(E)