兵庫県丹波市の柏原自治協議会が主催する歴史講座「歴楽TAMBA」がこのほど、柏原自治会館で開かれた。来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀に焼かれた柏原八幡宮の千種正裕宮司が、「柏原八幡宮文書から見る丹波攻めと八幡山城」と題し講演。同神社が所蔵する古文書をもとに、光秀が柏原八幡宮を焼いて築城した説がある「八幡山城」について自身の考察を語った。
千種さんは、「八幡山」の範囲は、柏原八幡宮から同市石生あたりを含んだ広範囲に渡るとする議論があると示し、光秀が八幡山に設けた本営の位置について、丹波市と隣接する丹波篠山市の境にある金山に構えた「金山城」を指している説もあることを紹介した。
まず、「柏原」の地理的な範囲について、複数の文書をもとに言及。一例として、元禄17年(1704)に石戸山の権利を巡る訴状に「柏原七ケ村」の範囲が示されており、「その中に金山城がある小倉地区が含まれていない」と語った。
その上で、光秀と親交があった、京都吉田神社の神主・吉田兼見の日記「兼見卿記」にある記述に着目。天正7年10月11日の欄に、「光秀は加伊原(柏原)に新城を普請しているらしい」などと書かれており、翌12日の欄には実際に光秀に会い、「(新城の)普請の最中だった」などと記述している点に触れ、「加伊原とあるので、『加伊原新城』は小倉地区にある金山城ではなく、柏原八幡宮に築いた城を示している」と語った。
また、八幡山城を築城するにあたり、柏原八幡宮を焼き払ったかどうかについても言及。「神仏を焼き払うことで、地元の民衆に恐怖を与える。そのために焼き打ちは必要だった」と説明した。
また、光秀を迎え撃った猛将・赤井直正の居城で同市の黒井城が落城したのは天正7年8月9日と述べ、「黒井城の落城後に加伊原新城を建てていることから、戦略的な城ではない。柏原の門前町を取り込んだ『まちづくり』をしようとしたのではないか」と語った。