光秀の母に迫る(上) 「はりつけは創作」根拠は? ”フェイク”信じた可能性
2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公となる戦国武将の明智光秀。兵庫県丹波篠山市では、光秀と地元の波多野氏が激突した八上城での戦いで、光秀の母、「牧(於牧、お牧の方とも)」がはりつけにされて殺されたという悲劇の伝承を逆手に取り、光秀の人生で大きな転換点となる地ではないかという視点でPRを進めている。しかし、「はりつけ」は同時代の史料に描かれていないことなどから、史実ではないとされている。(上)に続き、エピソードを否定する要素、そして、「牧」という名について考察した。
◆人質出さずとも
光秀の母「牧」が丹波篠山市の八上城で「はりつけ」にされたというエピソードを否定する要素はほかにもある。
天正7年(1579)4月4日付で光秀が出した書状には、徹底した兵糧攻めにより、八上城側は4、500人が餓死し、城外に出てきた者の顔は青く腫れ、人間のようではないとある。書状の2カ月後となる6月に八上城は陥落している。
このため、人質を差し出してでも陥落させたいというような苦境になかったことが見て取れる点で伝承を否定する研究者も多い。
また、光秀の出生年には諸説あるが、「明智軍記」(史料的価値は低い)の出生年を採用した場合、八上城攻めの時には52歳。その母となると70歳前後のため、老齢の母を最前線に同行させるだろうかという点でも疑問が出ている。
◆謀反の理由に創作?
では、なぜこのエピソードが誕生したのか。
かつて、この「はりつけ」は光秀が信長に反旗を翻した「本能寺の変」を引き起こした「怨恨説」の一つとされてきた。
京都・大山崎歴史資料館館長の福島克彦さんは、「江戸時代の人々は、なぜ光秀が信長を裏切ったのかという理由を探したかったのでは」と推測。「信長がわがままな人で、光秀が苦労したという雰囲気がないわけではない。そのため、わかりやすい怨恨のエピソードとして後付けされたと思う」と話す。
◆名の出典は不明
「はりつけ」を横に置き、牧自体がどのような人物だったのかを追う。
光秀は特に前半生がほとんどわかっていない人物。さまざまな史料があるものの、後世の作り話とされるものが多く、家系も含めて確定的な情報は少ない。その点を踏まえた上で史料を探った。
光秀の系図は真偽不明のものばかりだが、「続群書類従」所収の「明智系図」を採用した場合、光秀の父は「光隆」とあり、母は「武田義統妹」。武田義統は現在の福井県、若狭国守護だった人物だ。
系図が不明な明智氏に若狭守護の妹が嫁ぐということにも疑問符がつくが、この義統の妹が「牧」と考えられる。ただ、当時、系図の中に女性の名を入れることはほとんどなく、同時代の史料には名前が確認されていない。さらに後世に作られた「総見記」や「絵本太閤記」などにも名はなく、「老母」としか記述がない。
では、今回の大河ドラマでも採用されている「牧」という名はどこから来ているのか。
「お牧の方」という名が伝わり、牧のものとされる墓所がある岐阜県恵那市の担当者に尋ねたが出典は不明だった。
担当者は取材に対し、「昔から『お牧の方』と言われており、口頭で伝承されてきたもののため、何かの文書に記されているということは確認できていない」とした。
丹波篠山市には、「母」としか伝承されておらず、来年の大河にも採用されており、恵那市にも伝わっている「牧」を採用してPRを進めているという。
光秀の居城があった京都府亀岡市や福知山市も取材したが不明だった。
◆便宜上つけた?
恵那市のように口頭伝承で伝え続けられた可能性も否定できないが、戦国から江戸時代にかけての史料に母の名は見られないため、「牧」は江戸、あるいは明治以降につけられた名前の可能性もある。
司馬遼太郎が1960年代に執筆した歴史小説「国盗り物語」では、光秀の母ではなく妻として、「お槇(まき)」が登場していることを考えると、歴史的な史料ではなく、「牧」は近代の小説で便宜上、描かれていたのかもしれない。
ちなみにこの「国盗り物語」は言わずもがな小説だが、この内容が世間に広まった結果、光秀が戦国武将・斎藤道三に仕えていたことなど、史実とは異なるエピソードも信じられることになる。後世に書かれた「はりつけ」の話が信じられたことと似ている。
一方、「明智氏一族宮城家相伝系図書」には、「美佐保」とあるが、こちらの名は広まっていない。ただ、1996年の大河「秀吉」では母の名は「美(よし)」だった。
別の史料では、「市」とする場合もある。
◆「伝承も歴史の一つ」
丹波篠山市には「はりつけ松」の跡地とされる場所がある。現場まで伝わっていることについて、ある研究者は、「攻められた側からすると、光秀にも母のはりつけという相応の仕返しがあったということを信じることで、怒りを収めたのでは」と言い、「伝承があるのは事実であり、それも歴史の一つ。地域にとっては大切にするべきこと」と話す。
また、別の研究者は、「大河は歴史風の現代ドラマ。フィクションならば『はりつけ』もあるかもしれない」とする。
丹波篠山市は、「真偽はわからないが、親子の絆をテーマにPRし、波多野秀治のことも全国に発信していきたい」と言い、恵那市も「毎年、供養祭があるなど、牧のことは古くから大切にされている。大河を機に誘客につながれば」と話す。
前述の福島さんは、「丹波攻めで実質的に戦をしたのは地元の国衆たち。彼らにフォーカスが当たってこそ地域に還元する。最近の大河ではマイナーな武将が出てくる。波多野氏など地元の武将が何を考えていたのかなどが描かれれば」としている。
今回の大河で光秀はもとより「牧」はどのように描かれ、どのような最期を迎えるのか。ゆかりの地の人々も注目している。