各地で盛んに夏祭りが催されるこの時期。自然とそれに関する取材が多くなる。先日も「市島川裾祭」の取材のため、浴衣に身を包んだ家族連れでにぎわう商店街に飛び込んだ。 夜とはいえ、熱気がこもった人混みの中では、額にじっとりと汗がにじむ。取材が終わるころには、冷たいものが欲しくなり、雑踏から離れたかき氷の露店で一杯注文した。 その露店が出していたのは、昔ながらの手かきの氷。「機械よりもきめ細かい、雪のような味わい」を売りにしていた。なるほど確かに、店のご主人から手渡されたものの食感は、“シャリシャリ”した「氷」ではなく、“フワフワ”と舞い降りる「雪」のそれ。口の中で形を残さずさらりと溶ける感覚が楽しい、清涼の味だった。体の火照りはさっぱりと洗い流され、さわやかな気分で帰路につくことができた。 思いがけず堪能した「季節の風物詩」だが、あの味を今思い起こそうとしても、どうもうまくいかない。おそらく今いる部屋が、空調で冷えているせいだ。あの時の感覚をリアルに思い出せない。あのかき氷の最大の“調味料”は、雑踏の中で感じた暑さだったのである。 風物詩を楽しむには、その「季節」も同時に感じなくてはいけない。テレビで見る花火はなんとも味気ない。暑くても外に出てみよう。そこにはきっと何かある。(古西広祐)