先日、友人に勧められて芦屋市にある詩人・富田砕花(1890-1983)の記念館を見学した。 「兵庫県文化の父」と呼ばれる砕花は、各地で校歌などを作詞した。その中には、柏原高校や氷上西高校といった丹波の学校のものも含まれており、ちょっとした縁を感じながら、彼の旧宅を利用した記念館を訪れた。 詩や文学には疎い方なので、作品の傾向や移り変わりなどを記したパネルを見ても、正直、よく分からない。その代わりと言うわけではないが、多くの草花が奔放に育てられている庭が印象的だった。飾り気がなく、いかにも全国各地を旅した詩人の家というたたずまいだ。 施設の管理人で、生前の砕花の身辺を世話していたという女性によると、「雑草を抜こうとすると、先生(砕花)はひどく怒るんですよ。それでそのままに」とのこと。実に「生きた」エピソード。この女性の存在が、砕花を今に伝える役目を果たしているのだと感じた。 砕花ほど名は知られていないが、この丹波にも「偉人」と呼ばれる人が多くいる。ともすれば風化しかねないそれら偉人たちの足跡や思いを次代につなげていくこと。それは、物事を「伝える」職にある我々の役目でもある。あの女性のように「生きた」話を伝えているか、常に自分に問いかけていきたい。(古西広祐)