丹波市山南町で、日中戦争で戦死した2人の兄弟について取材した。戦死以来、実家に保管されていた遺留品箱を、今年のお盆に初めて開封したというニュースだ。この家には、末妹のほか、3人の兄弟があり全員が出征した。このうち長男は1937(昭和12)年9月に23歳で、三男は43(昭和18)年3月に21歳の若さで亡くなった。 日中戦争初期の戦死者である長男の遺留品箱には、手紙や写真、村葬の資料などのほか、戦死時の戦闘状況を記録した資料や、戦死した兵士の奮闘ぶりを列伝風に記した本などが入っていた。 一方、太平洋戦争勃発後に亡くなった三男の遺留品箱には、手紙や本人の写真などはあったが、戦闘状況の資料や列伝本などは入っていなかった。それらのものを製作する余裕が、すでに軍にも社会にも無かったのだろう。長い戦争で国と人が疲弊していく過程が垣間見えた。 長男の遺留品箱には、37年7―8月発行の「週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊北支事変画報」が収められていた。息子が赴いた戦地の様子を少しでも知りたい一心で、家族が購入したものではないか―。胸が痛んだ。 (古西広祐)