縄の目の不安

2008.03.31
未―コラム記者ノート

 兵庫陶芸美術館で開催中の縄文展。本紙でも記事やコラムでたびたび取り上げており、縄文時代を生きた人々の残した貴重な財産に触れる絶好の機会となっている。  実は私、大学時代は考古学専攻だった。考古学との出会いは、小学生時代。古墳内の石室で滑って転んだ時、「古墳を造った人も同じように転んだかも」と想像し、時を超え、同じ体験をした可能性に心躍った。この勝手な「共感」体験から先人に興味がわいた。 では、縄文はどうか。有名な火焔型土器。そのほとばしるような迫力はすさまじい。そして、見る者を何か「不安」な気持ちにさせる。 同館の乾由明館長は、気候の変動や自然災害、乏しい食糧など、不安と危機に満ちた時代に生きた人々がつくりだしたものなので、「不安」が表現されていると説明する。そして、現在もまた、不安と危機に満ちた時代。故に土器を見て、共感するのだと。 なるべく共感したくない気持ちだが、共感体験には変わりない。今も危機を感じる時代だと素直に認めざるを得ないのではないか。みなさんもぜひ縄の目に隠された不安を感じてみてほしい。(森田靖久)

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