ゴーッというとてつもなく大きな音とともにガラスが砕け、壁が倒れ、最後に天井が私の体に降ってきた。胸が圧迫され、息が止まりそうになった。「死んだ…」と思ったが、枕元に置いていたファンヒーターが天井の梁をまともに受け止め、M字形に変形しながらも50センチのすき間を作ってくれた。そして私は助かった。 約10秒間の激震で、日本の建築技術の粋を結集した頑強なビルや高速道路、鉄道が安全神話とともに、あっけなく崩壊した。6000人以上の命を奪い、30万人以上の被災者難民が、ライフラインの崩壊した大都市にあふれた。 1・17―。14年前の未曾有の自然災害「阪神淡路大震災」。本紙1月15日号に、手記を綴った。これまでにも、当時の体験を話すことはあっても、書き綴ったことはない。文字に残すということは、永遠に記録が残るということ。ましてや不特定多数の方が目にする新聞に書くことに抵抗があった。しかし何の因果か、新聞記者になった以上、これも生き残った者の役目のひとつだと思い、思いつくまま書いてみた。不思議と気持ちが少し軽くなったような気がした。 (太治庄三)