「禍福はあざなえる縄」

2008.01.07
丹波春秋

 正月元旦はもともと、家族みんなが家にこもって年神(としがみ)をお迎えする日だったという。年神とは、祖霊のこと。盆と同様に正月も、祖霊をまつる機会だった。▼ところが、盆が死者をまつる日として凶礼化する一方、それとの対照で、正月は極端に「めでたさ」を追求する吉礼へと変化した。年神も、1年の幸福をもたらす神とみなされるようになった。以上は、正月に関する民俗学の説だ。▼年の初めを「めでたい」と祝い、福を祈るものの、現実はそうはうまくいかない。何の憂いもなく、幸せいっぱいのまま1年を過ごすなんて、まずない。こんな話がある。▼正月、ある商家に美女が訪ねてきた。この美女は、福をもたらす吉祥天。商家の主人は喜んで迎え入れたが、吉祥天に続いて、醜い女性が家に入ってこようとした。主人が正体を問うと、「災厄の神だ」と答えた。当然、主人は追い返した。すると、女は笑いながらこう言った。「さっきの吉祥天は私の姉。私たちはいつも一緒だから、私を追い払えば、姉も出て行くわ」。かくして、せっかくやって来た吉祥天も去って行った。▼災いを引き受ける覚悟と度量がなければ、福の神に愛されることはないようだ。めでたい正月気分にけりをつけ、「禍福はあざなえる縄」と気を引き締め、今年1年のスタートを切りたい。 (Y)

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