走る、東北へ

2011.06.29
未―コラム記者ノート

 高速道の単調な景色を見ながら、走る、走る。どれだけ走っても、カーナビの現在地は少しも動くことはない。代わりにガソリンの目盛りはあっという間に減っていく。目指す先は東日本大震災の被災地、宮城県女川町だ。
 毎月1度、同町にボランティアに入っている。4月から数えてこの6月で3度目。がれきは少しずつなくなり、避難所の数も少しずつ減ってきた。その経過を見ることが、復興へのページをめくっているように思える。
 丹波地域をエリアとする新聞社の一記者が、なぜそんなに何回も行くのか。そう思う人も多いかもしれない。
 でも、仲間は言った。「人の手でできることは小さい。でも、このがれきを一つ撤去するたび、0・000000001%でも、復興に近づいていくはずだから」
 そして、その様子を伝えることは、読者のみなさんにとって有益であると確信している。災害は決して他人事ではない。私たちもいつ、被災者になるかわからない。東日本がたどる復興への道は、必ず、私たちの参考にもなるはずだから。
 そう思って、そう信じて、私は走り続ける。(森田靖久)
 

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