高速道の単調な景色を見ながら、走る、走る。どれだけ走っても、カーナビの現在地は少しも動くことはない。代わりにガソリンの目盛りはあっという間に減っていく。目指す先は東日本大震災の被災地、宮城県女川町だ。
毎月1度、同町にボランティアに入っている。4月から数えてこの6月で3度目。がれきは少しずつなくなり、避難所の数も少しずつ減ってきた。その経過を見ることが、復興へのページをめくっているように思える。
丹波地域をエリアとする新聞社の一記者が、なぜそんなに何回も行くのか。そう思う人も多いかもしれない。
でも、仲間は言った。「人の手でできることは小さい。でも、このがれきを一つ撤去するたび、0・000000001%でも、復興に近づいていくはずだから」
そして、その様子を伝えることは、読者のみなさんにとって有益であると確信している。災害は決して他人事ではない。私たちもいつ、被災者になるかわからない。東日本がたどる復興への道は、必ず、私たちの参考にもなるはずだから。
そう思って、そう信じて、私は走り続ける。(森田靖久)