赤い鉄骨だけになった建物。バスから降りた人々がまず、見上げ、息をのみ、そして、手を合わす。涙を流す人も多い。東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町にある、町の防災対策庁舎だ。
大津波警報の発令を受け、庁舎に集まっていた町職員ら32人が死亡・行方不明となった場所。最期の瞬間まで、防災無線で住民に避難を呼びかけた女性職員がいたことが報道され、その存在を知る人も多いだろう。
今、住民や町の中では、庁舎を震災のモニュメントとして保存しようという動きがある。訪れる報道陣や人の多さからも、震災を語り継ぐ役割を担っているように見える。
記者もこれまで二度、庁舎を訪れた。そこに、遺族であろう方が書かれた一枚の紙があった。
「息子はどんな思いで亡くなったかと思うと悔しくて眠れません。この建物を残すと語る人がいますが、その家の誰でもいい、この上から飛び降りて犠牲になったら、残すと言うでしょうか」
どちらが正しいかわからない。そんなことが被災地にはあふれている。(森田靖久)