マツタケが豊作という噂を聞き、実家の持ち山へ向かった。私、キノコ類が大の苦手。それでもゆくのは、もちろん金に目がくらんでである。
山を分け入り、アカマツのあるポイントを目指す。しかし、ない。斜面を滑り落ちながらも探すが、やはりない。
小学生のころから親父に連れられ山に登った。遠い記憶をたどれば、少なくとも一度に3―5本は採れた。国語の宿題で「おいらはマッタケ」という詩を書いたほどだもの。
理由は簡単。ひび割れたせんべいのような肌のマツが、すべて枯れているのだ。虫害と、山に手を入れていないことが原因だろうと親父は言う。
実によくできた話だ。人が山を忘れたことで、のどから手が出るほどほしいものが採れない。まるで自然からの仕返しのようにも思える。
山の再生には長い年月が必要だ。何年も前から整備に励んで来た場所では、マツタケが発生したといううれしい報道もある。マツタケが採れるということは、自然との仲直りの証しかもしれない。
持ち山の頂には、小さなマツの苗木が植えられている。私が生きている間に仲直りができればいいな。(森田靖久)