色づき始めた野山を眺めながら、ぼんやりと昔のことを思い出す―。
高校3年生の秋、部活も引退し、暇を持て余していた私。もともと山が好きということもあって、「家の周囲の山、すべてに登ろう」と決心した。当時は「山が好き」というと、「ダサい奴と思われるのでは」と勘違いしていたため、友人は誘わず、一人ぼっちの山行きを週末が来るたびに敢行した。歩きやすい尾根まで上がり、そこからは適当に方向を定め、尾根伝いに歩いた。道中、特徴的な木に出くわすと、その幹に「ここまで来た」という証を残すため、ナイフで日付と自分の名を刻んだ。
夕暮れが近づくと下山。目の前に立ちはだかる藪を漕ぎながら、「この方向で本当に合っているのかなあ」。そんな心配を何度か繰り返していると、すうぅと視界が開け、いつもの通学路の脇に飛び出す、なんてこともしばしば。一気に日常空間に連れ戻された残念な気持ちと、迷わず下山できたという安堵感とが交錯する、なんとも不思議な感覚にとらわれたものだった。
さて久しぶりに、名を刻んだあの時の木に会いに行ってこようかな。(太治庄三)