被爆の記憶

2008.05.12
丹波春秋

 広島と長崎で二度、被爆した篠山市の山根巳代治さんは、足が不自由だった。事故が原因だが、被爆の後遺症も関係していた。1963年の夏。家の解体で屋根にのぼっていたとき、ふと空を見上げた。太陽の光が目に飛び込み、失神。そのまま転落した。▼「被爆の後遺症として、光に対する恐怖感がある。車のライトが不意に目に入ったときは、気を失ってしまうんです」と語っていた。カメラのフラッシュも要注意だった。取材で山根さんにカメラを向けるときは、事前にフラッシュを通知したものだ。▼なぜ光を拒むのか。病院の検査では脳に異常はなかった。山根さんは「精神的なものでしょう」と話していたが、被爆時の記憶が、脳だけでなく、体の細胞の一つひとつに刻み込まれていたに違いない。だから、光に全身が反応したのだろう。▼被爆体験の語りべをつとめていた山根さんが亡くなった。原爆投下からすでに63年。体験者が一人もいなくなる日がやがて必ず来る。それは、細胞に被爆を記憶している人がいなくなることだ。▼ヒトラーは「大衆のさまざまな能力は低いが、忘却の能力だけは高い」と言った。原爆の歴史も忘却されてしまうのか。不気味に響く予言を裏切るためにも、次代を生きる者は、被爆の史実を血肉化するよう努力しなければいけない。 (Y)

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