山南のやわらぎ保育園の園児たちは、弘法大師の月命日にあたる21日、近くの寺に行き、全員で般若心経を唱えている。30年ほど前から続く伝統らしい。そのことを伝える記事が先ごろ、本紙(丹波市版)に載った。本堂で正座をし、小さな手を合わせる園児たちの写真がほほえましく、いい体験をしていると思った。▼寺に行くと、何となく清らかな気分になる。本堂に入ると、厳かな空気に居住まいを正され、あぐらをかくことは失礼に思える。それは、寺が基本的に「聖なる空間」だからだ。▼聖なる空間の本堂で、般若心経を唱える。保育園児に般若心経の意味は理解できないだろうが、ふだん使うことも、耳にすることもない言葉を口にする。意味は不明でも、般若心経の「聖なる響き」は多かれ少なかれ園児の心に届くに違いない。▼けがれない尊さをいう聖にふれるとき、人はかしこまる。おごりを戒め、謙虚になる。そんな心の動きのなかで、「敬」の念が生まれるのだろう。陽明学者の安岡正篤氏は、この敬こそが人間と動物を分ける決定的な要素であり、敬を欠いた人間は動物並みになってしまうと警告している。▼聖なるものにふれるのは、子どもの心の発達にとって大切なこと。大人にとっても大切なことだが、ないがしろにされているようだ。 (Y)