清少納言と贈り物

2008.10.06
丹波春秋

 黒枝豆の季節になった。丹波の誇る黒枝豆をお遣い物にされる人は多かろう。贈られた側もきっと喜ばれるに違いない。しかし、かの清少納言は、田舎の味を贈る相手として面白くない人物だったようだ。▼「枕草子」で、清少納言は「興ざめすること」としてこんなことを書いている。「田舎からの手紙にその土地の特産品が添えてないのにはがっかりする。逆に、都からの手紙には何も付いていなくても、田舎の人の知りたい情報が書いてあるから、それで十分なのよ」。▼田舎からの贈り物を期待し、贈り物に対する見返りは考えもしない。清少納言のエゴと計算高さが透けて見えるくだりだ。▼贈り物は基本的に「いただいたら、お返しをする」ものだが、見返りを期待しない贈り物もある。贈られた側の喜ぶ顔を想像するだけで楽しくなるという贈り物だ。田舎にいる祖父母が、都会に住む子供の家族に農産物を贈る場合はその典型だ。祖父母は、子供や孫の顔を思うだけで満足しているだろう。▼家族や親しい間柄など、愛他的な人間関係では、こうした見返りを期待しない贈り物が見られる。愛他的な人間関係に恵まれた人は幸せであり、築こうとしている人は心が豊かだと言える。田舎に住む人とこうした関係を持つ気がなかったような清少納言こそ「興ざめ」だ。 (Y)

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