10年前、サンフランシスコのスラムでベトナムやカンボジア難民の子供たちに勉強を教えたり、職業訓練するNPOを取材した。子供らが眼をきらきら輝かせているのに驚いたのを今も覚えている。▼きれいな英語をきっぱりと使い、相当優秀そうな者も少なくなかった。路上で寝起きし、学校にもろくに行かなった彼らを、そこまで育てるまでには、大変な数の人たちの労力と葛藤を要したことだろう。▼ハーフのオバマ氏が、超一流大学を出て白人成功者の道も選択できたろうに飛び込んだのは、シカゴの黒人街での地域活動だった。年俸1万ドル。歴代大統領の社会人スタートとしては、極めて異例である。▼初めての土地、絶望的とも言える環境の中で、ストレスのみ募る毎日だったろうが、彼は一歩一歩、仲間を増やし成果を示していった。その過程で身に付けた説得や交渉力は、実にあなどりがたく見える。筆者が初の黒人以上にひかれるのは、この点だ。▼「私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではない」(就任演説)。陽が陰りかけたと言われるアメリカの懐は深い。家庭内の問題をえぐり出す寸劇を演じて後輩たちを啓発していたサンフランシスコのベトナム少年らの中から、20年後に大統領が出てくることも、決して空夢ではない。さて、日本は。(E)