幽霊画

2010.04.29
丹波春秋

 幽霊画を収集し、テレビで紹介されたこともある柏原町の炭野誠さんから最近、「幽霊画はもともと仏画だったんです」と教わった。僧侶が、子どもらに悪事を働いてはいけないなどと説教をするときの小道具として使ったらしい。そういえば、私自身、子どものころに近くの寺で幽霊画を見せてもらったことがある。▼人が恐れるものを使って、人の道や真理を説く手法。一休禅師も、この手を使ったという逸話がある。▼使ったものは、白骨化した頭蓋骨。元旦に、頭蓋骨を竹竿の先に結びつけ、京の街を歩きながら「ここに二つの穴がある。昔は目玉があったが、飛び出てしまった。目が出た、目が出た、めでたいのう」と言いはやしたらしい。一休さんのこと、人々に伝えたいことがあっての行動だろう。▼頭蓋骨は極端にしても、幽霊画から恐怖心とともに人の道を学び取った昔の人たちの素直さと純真さを思う。現代は、幽霊画よりも恐ろしいホラー映画が人気を呼び、恐怖心が快感という人が少なくないのだから。▼一休は「作りおく罪の須弥(しゅみ)ほどあるならば閻魔の帳に付けどころなし」と歌った。人の犯す罪は山ほどあるのだから閻魔帳に書ききれないだろう、という意味。でも、コンピューターがある現代は、そんな心配は無用。時代は変わった。     (Y)

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