生命をいただく

2013.03.16
丹波春秋

 詩人・石垣りんに「儀式」という詩がある。食べることは、生あるものを殺(あや)めることだと教えてくれる詩だ。魚を丸ごと1匹、まな板に載せ、よく研いだ包丁を握る。そして「頭をブスリと落すことから 教えなければならない。その骨の手応えを 血のぬめりを 成長した女に伝えるのが母の役目だ」▼母から娘に伝えるのは、魚の調理法ではない。伝えるべきは、「長い間 私たちがどうやって生きてきたか。どうやってこれから生きてゆくか」。人は食によって命を保つ。その食の背後には、命を殺める行為がある。そのことを人は真正面から受け入れるべきだと、この詩は説く。▼日本の伝統的な考えでは、食事をとるとは「ミ」をとることだ。「ミ」とは魂であり、霊。だからこそ食事の前には「いただきます」と言い、いただく生命の魂に感謝の心を表わす。▼過日、我が家の庭に萌え出たフキノトウを摘んで味わった。その苦味は格別で、早春の香りと共に舌鼓を打った。▼フキノトウをはじめ、春の山菜が持つ苦味は、冬の間、あまり動いていない人の内臓に刺激を与え、動きを活発にさせるという。フキノトウも生あるものの一つ。フキノトウに感謝しつつ、その若々しい「ミ」をいただくことで自らを活性化させるとは、人はよくよく因業な存在だと思った。(Y)

 

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